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【頑張る本当の理由】頑張った先にあるモノ【何のために頑張るの?】

こんな人向けの記事です

・なぜ頑張るのかを知りたい
・何のために頑張るのかを知りたい
・頑張った先に何があるのか知りたい

あなたが得られるモノ

① 頑張れるようになる
② つらいことも悲しいことも乗り越えられる
③ 将来の夢や目標で悩まなくなる
④ 自分を尽くせるようになる
⑤ さらに高みへと歩める
⑥ 人に頑張る理由を教えられるようになる
⑦ やりたいことが見つかる
⑧ 自分の取り柄は何かと悩まなくなる

ぐっど
ぐっど

こんにちは!ぐっど(@good__tennis)です!

『ぐっど』とは何者?

①はじめての教え子はプロ選手に。
②プロ選手の復調を複数人指導した経験あり、得意。
③本戦選手を多数育成。
④小学高学年から、コーチングをする。
⑤選手のメンタル強化も得意。
⑥公立の外部コーチの経験あり。
⑦プロ選手専属のストリンガーの経験あり。

今回は、「頑張る理由」を解説します!


「まとめ」では、「自分を尽くした人の実話」「自分を尽くせなかった人の実話」を載せています。最後までご覧くださいね!

何のために頑張る?

ぐっど
ぐっど

では、さっそく「なぜそんなしんどい思いをするの?」を、みていきましょう!

なぜそんなにしんどい思いをするの?

これは、若い間は誰でも疑問に思うことですね!
いいえ、歳を重ねても分からない人も多いかも知れません。


なぜ人は、頑張るのでしょう。
なぜしんどい思いを、わざわざするのでしょう。


それは、最終的になぜ人はツラい思いをしてまで生きなければならないかまで行き着きます。
ここでは、そんな深い話まではせずに、テニスでも何でも頑張る理由を明らかにしたいと思います。


結論から言うと、将来への自分へと「つなげる」ためです。
これを日本的にいいますと、「むすび」。正確には、「むすび」の中一つ。


今からするお話は、将来の夢だとか、将来の目標だとか、自分の取り柄なんて分からないよという人にも、生きる勇気を与えてくれるようなお話だと思います。ではでは、先へと進んでいきましょう…

ぐっど
ぐっど

頑張るのは、「つなげる」ため。「むすび」のため。
これは、最終的には、将来への自分だけでなく、あらゆるものへと「つながり」が生まれます!
あらゆる「むすび」を作るもの。それが頑張るということです!

何かのために頑張る

何のために頑張るかという問題は、実は非常に奥の深い問題です。


人によっては、自分のためだったり、親のためだったり、或いは好きな人のためだったり…。夢のためだったり。
「何のため」には、強弱があります。


強弱とは、「想いの強さ」です。


人のためであればあるほど、この「想い」は強いものになります。
人は、自分のためだと思うと、簡単に諦めてしまえるもの。


人のためだと、簡単に諦められない。それが自分が好きな人・愛する人であればあるほど、簡単には諦められません。


頑張る理由の一番「浅い」理由として、「誰かのため・何かのため」があります。
しかし、そんなモノがない人にとっては、頑張る理由はない…ということになります。


いいえ。
「誰かのため・何かのため」がない人こそが、頑張る理由があるんです。
だからこそ、頑張る理由がある。


そして、その頑張る理由には、深さがあります。
これからどんどん浅いモノから順番に、頑張る「本当の理由」へとお話を進めていきます。


最後まで読めば、自分だけの頑張る理由と、今何をするべきなのかが見えてくるはずです。

ぐっど
ぐっど

何かのためという理由がある人は、頑張る理由なんて知ろうと思いません。
そんなモノがない人こそ、本当の頑張る理由を知って欲しいです!

知ったあと、何かのために頑張る人よりも、正確に頑張った先を見据えることができるようになります!

「自分のため」の本当の意味

人は、最終的に「自分のため」に頑張ります。
いいえ…「自分を敬するため」に頑張る。自分を敬する・敬できるからこそ、人生が楽しくなります。


まず「自分」という漢字の意味から、お話したいと思います。
自分という言葉を、正確に把握することにより、自分・私というモノがはっきりしてきます。


「自分」の「自」は、独自の自です。絶対という意味。唯一無二の意味。
「自分」の「分」は、部分の分です。全体に対しての部分の意味。


つまり自分とは、独自であると同時に全体の部分です。
全体があるからこそ、独自も存在できる。


全体がない独自は、存在しませんね。
独自がない全体も、存在しません。


何が全体なのか、何が独自なのか分からなくなるから。
必ず相対的なモノが存在するから、自分を認識できるわけです。


そのことが分かれば、自分を大切にするという行為は、他人を大切してはじめて成り立つことが分かります。
他人を大切にするのは、自分を大切にすることに「つながる」ということです。結果的に。


この「自分」という言葉を、正確に知ることは、大変重要です。
だって、人は一人では生きていけませんから。


つまり、「自分のため」にしたいなら、「人のため」にすること。


しかし、この「頑張る理由」も、まだまだ真理をとらえているわけではありません。
人は、そんなに浅い生き物ではありません。


もっともっと一人ひとりが貴いもの。
それをさらにお話していきます。


ここで知ってほしいのは、自分のために頑張るのは、まだまだレベルの低い頑張りであり、自分のためになるからという理由で、人のために頑張るのも、まだまだ低い次元であるということ。


それでは、本当の自分の凄さを発揮できない、ということです。

ぐっど
ぐっど

20年間、子供達にテニスを教えてきて思うのは、人の凄さって半端じゃないってこと!
これは、誰だろうと凄いモノを持っているということです!

今、頑張れないのは、「凄い自分に気付いていない」からです!
凄い自分が、頑張った先にあることに気付けば、頑張ろうとしなくても頑張れる。

頑張るとは自分を尽くすこと

ぐっど
ぐっど

では次は、「自分のすべてを出し切る」を、みていきましょう!

自分のすべてを出し切る

「頑張る」とは、何かをお話していきますね。


頑張るって、自分を出し尽くすこと。
つまり、自分が思う自分をすべて出し切ること。


それが「自分のすべてかどうか」は、自分が心から「出し切った」と思えたら、それは頑張ったということです。


「まだまだ」と思ったら、「出し切った」と思えるまで頑張りを高めてください。
つまり、自分で「納得」できたかどうかが大切。


よく「他人が見て頑張ったかどうかが大切だ」と言われます。
そんなものは、絶対に違います。大切なのは、「自分が納得できかどうか」ですから。


人が「よく頑張ったねぇ」と言っても、自分が「まだまだできるけど」と思っていたとしたら…それは頑張ったことになりますか?なりません。


人が「まだまだ頑張れる」と言っても、自分が「限界まで頑張った」と思っていたとしたら…それは頑張っていないことになりますか?なりません。


人の基準は、だいたいが「結果」で判断します。
本来の判断基準は、「自分を出し尽くしたか」です。つまり、「過程」で決めるべきものですから。

ぐっど
ぐっど

指導者にもいますね。
結果が良かったら、頑張ったとする人。

では、優勝した人間しか頑張ったことにならないのか?って話です。
そんなおバカな話はないですね。

自分を越えた自分

さらに、自分が限界だと思ったところから、さらに上に行けた場合があります。
人は、だいたいが自分が思っている以上に、高みへいけるものです。


指導者に、学問教養があって、人を観ることのできる人であったら、その限界を越えられるかどうかも、見抜くことができます。


そんな指導者に出会えたら、幸運です。


ライバルや仲間の存在も大きいものがあります。
「あそこまで頑張りたい」と思えるのは、高みへと進む道だからです。


できることならば、自分が思う限界の少し上を常に目指して頑張ることが望ましい。
人は、特に子供は、無限の可能性がありますから。


しかし、大切なのは、「自分の頑張りに納得できたかどうか」です。
これは、常に変わることはありません。


なぜなら、その「納得」こそが、自分をさらなるステージへ進めるものだからです。


では、さらなるステージとは、一体どういう意味なのかを次からお話していきます。

ぐっど
ぐっど

頑張ったかどうかは、「自分しか分かりません」
指導者は、その頑張りを手助けをしてあげることしかできません。

「納得」できるように頑張ることが大切です!

自分を尽くした結果

日本的にいいますと、頑張ったこと・自分を出し切ったことを、「己を尽くす」「尽己(じんこ・じんき)」です。


自分を尽くすと、自分ではっきりそれが分かります。自分に納得できる。


例えば、何かに「勝つため」に頑張ってきたとします。
自分を尽くしたら、もう「勝ちたい」とか「勝つため」とかいう「結果」なんてどうでもよくなります。


だって、自分を尽くしたから。
これで結果がダメだったとしても、納得できるという気持ちになる。


だからこそ、「良い結果」に意味が出てきます。
そして、「悪い結果」にも意味がある。


それは努力の無駄ではなく、様々な「むすび」を生むからです。これが自分を尽くした結果、手にできる一番大きなモノ。


では、さらなるステージに進む「むすび」とは、どういったものかの、お話にはいります。

ぐっど
ぐっど

自分を尽くした結果、その頑張りには、必ず「むすび」が現れます!
その「むすび」とは?

頑張った先にあるモノ

ぐっど
ぐっど

では次は、自分だけの経験を、みていきましょう!

自分だけの経験

頑張った先に、まず現れるのが、自分だけの経験・体験です。
これは、非常に大切なモノ。


これがあるから、人はこの世界で唯一無二の存在になれるのですから。


どんな道に進んでも、自分を尽くして頑張った人は、必ず自分だけの経験をします。
そして、大切なのは、「自分を尽くす」という言葉の中には、誠実に尽くすという意味が含まれているところ。


頑張っても、人の足を引っ張ることを一生懸命頑張っても、自分を尽くしたとは言えません。
当然ですね。


人の心には、善悪を判断する能力が、生まれたときから天性として備わっていると言われます。


だから、悪いことは悪いと認識できる力がある。だから反省することができる。
自分を尽くすとは、誠実に自分を頑張ることです。



その誠実に頑張った度合いに合わせて、その頑張りに見合った経験を必ずします。
これは絶対です。


人とはそういうモノだから。
頑張りには、必ず経験が伴います。
頑張った先に、まず現れるのが、自分だけの経験・体験です。
これは、非常に大切なモノ。


これがあるから、人はこの世界で唯一無二の存在になれるのですから。


どんな道に進んでも、自分を尽くして頑張った人は、必ず自分だけの経験をします。
そして、大切なのは、「自分を尽くす」という言葉の中には、誠実に尽くすという意味が含まれているところ。


頑張っても、人の足を引っ張ることを一生懸命頑張っても、自分を尽くしたとは言えません。
当然ですね。


人の心には、善悪を判断する能力が、生まれたときから天性として備わっていると言われます。


だから、悪いことは悪いと認識できる力がある。だから反省することができる。
自分を尽くすとは、誠実に自分を頑張ることです。



その誠実に頑張った度合いに合わせて、その頑張りに見合った経験を必ずします。
これは絶対です。


人とはそういうモノだから。
頑張りには、必ず経験が伴います。


それは、自分だけの特別な宝物。
誰にも経験できない、世界でたった一人、自分だけしか経験できないモノです。


その経験が、世界にたった一人の唯一無二の人間を作ります。
そして、唯一無二の自分だけの「むすび」となる。


その「むすび(結び)」は、日本的には「産巣日・産日・産霊」と書きます。
それが、次にお話する、自分だけの「想い」へと「むすび」をつなげます。

ぐっど
ぐっど

唯一無二の経験は、自分だけの「想い」へとむすばれていきます!

自分だけの想い

自分だけの特別な経験は、自分をかえりみる最善な材料となります。
「自分をかえりみる」とは、反省とか自反(じはん)とか言われますが、何か悪いことをしたときにする反省とは違います。


自分がしてきたことから、自分というものをしっかりと見つめるようになる。
これが反省・自反。


自分をかえりみると、新しい自分や本当の自分を発見できるようになります。


それを続けていると、あるモノに気付きます。


それが「想い」です。
自分は、こうありたい!こうしたい!これをしないといけない!という想いがあることに気付く。


これを、世間では「夢」とか「目標」とか言われるものですが、そんな低次元の「夢・目標」ではありません。
つまり「ただのスローガン」ではない。


日本的には、「天命」とか「立命」・「知命」などと言われます。
立命は立命館大学の立命です。


つまり、本当に自分がなすべきもの。
自分が存在する意義です。


これを知ってしまった人は、もう決して負けません。
生きることがこれほど素晴らしいものだったのかと思えるほど、生きるというもの、命というものが大切であることに気付く。


そして、生きる・命の本当の大切さに気付くからこそ、自分のなすべきことに命をかけられるわけです。

ぐっど
ぐっど

命の本当の大切さは、「知識」では分かりません!
「…だから大切なんですよ〜」と教えられても、分からないということです。

命の大切さは、自分のなすべき想いをはっきり認識できてこそ、分かるものです!

自分が見える

自分のなすべき想いを知ると、本当の自分の姿が見えます。


つまり、将来の自分と「つながる」わけです。
将来の自分と「むすび」が生まれる。


その「つながり」には、多くの「つながり」が存在した上にあります。
つまり「小さなつながり」や「小さなむすび」がいっぱいあるということです。


それは、人であり、モノであり、この世界のあらゆるモノ。


つまり、この世界のすべてのものと一体となる。つながる。むすばれる。


その人とは夫婦になるかも知れません。パートナーになるかも知れません。
その「つながる形」は人それぞれ。一人ひとり違います。


どのような形であれ、つながる・むすばれる。
そうして本当の自分になることができます。


人は、自分の夢だとか目標や取り柄が先にあって、それから頑張るものでは決してありません。
頑張ったことがない人の夢や目標や取り柄は、ただの幻想です。だから叶わない。


本当の夢や目標や取り柄は、頑張った先にしか見えない。


だから、まず今、自分が好きなもの・頑張りたいものに、ひたすら自分を尽くせばいい。
これをできるだけ早い段階で行なうことです。つまり子供の頃、もっというと幼少のときに行なうべきもの。


だから、昔の人は、こういうお話を5歳〜10歳までの間に学んでいました。
だからこそ、18歳〜20歳のときには、ひとかどの人間になれたわけです。


しかし、今いくつであっても、関係ありません。
日本の江戸時代一番の碩学(せきがく・学問が広く深い人)と言われた佐藤一斎(いっさい)は、


「少にして学べば、即ち壮にして為すことあり。
 壮にして学べば、即ち老いて衰えず。
 老いて学べば、即ち死して朽ちず」


現代語にすると、


幼少のときに学べば、大人になってなすことができる。
大人になってから学べば、歳をとっても衰えない。
歳をとってから学べば、死んでも朽ちることはない。


と言っています。


死んでも朽ちないとは、その人の想いが次の世代に受け継がれることを意味しています。
その人がいたことを、誰かが必ず知っている。その想いは永遠に受け継がれる。


江戸時代の佐藤一斎の言葉を、ここで紹介してるように。


だから今、将来の夢や目標なんて分からずとも、今の自分を一生懸命尽くして頑張る。
本当の意味での夢や目標は、その先に必ず見えてくる。だから今、頑張るんです。


人は、不思議な生き物ですね。

ぐっど
ぐっど

今日読んだお話は、多くの数えきれない歴史が証明しています。
日本だけでも、多くの人・名も知られない人でさえも証明しています!

そんな本も多く残っているんですよ!
日本の先祖は、世界に誇れる人ばかりです!数が多すぎてかすむぐらいです。

ちなみ、「為せば成る、為さねば成らぬ、何事も、成らぬは人の為さぬなりけり」で有名な上杉鷹山は江戸時代の大名ですが、あのケネディ大統領が尊敬する人なんです!

まとめ【実話あり】

今回は、「頑張る本当の理由」でした。
いかがだったでしょうか?

皆さんの人生が豊かになるように願っています!

自分尽くしたの実話

ある高校野球で自分を尽くした少年Kくんのお話です。

少年Kくんは、高校野球の3年間で一度もレギュラーになれませんでした。
しかし、野球が好きで一生懸命で、野球に自分を尽くしました。

その結果、レギュラーには一度もなれなかったけれど、後輩を教えること・チームを教えて強くすることは、誰よりも上手でした。

その高校は今まで甲子園に行ったことがありません。

Kくんは、後輩の指導を熱心にはじめます。
Kくんから教えられたことを、後輩が後輩に教え、受け継がれていきました。

Kくんが高校を卒業して、2年…。
Kくんが3年生だったときにの1年生が、はじめて甲子園に出場することになります。

その甲子園メンバーのエース・Oくんは、
「僕たちが、甲子園に行けたのは、K先輩のおかげです」と話してくれました。

高校で一度もレギュラーになれなかった選手が、2年後の甲子園出場に貢献した。
これが、「つながる」ことであり、「むすび」です。

その経験で、一番得られるものがあったのは、甲子園に出場した選手たちではなく、後輩達を熱心に指導したKくんです。

後輩たちは、Kくんを尊敬し、Kくんのことを一生忘れないでしょう。
この経験は、大人になり、仕事となり、家庭となったとき、さらに充実した人生に役立ちます。

自分を尽くすというのは、自分にとって良い結果になることだけではありませんし、良い結果が出たからといって、人生に福となるかは分かりません。

逆に福とならない場合の方が遥かに多い。
良い結果というのは、本当に大切なモノを知らない人にとっては、傲慢にしてしまうモノだからです。

人にとって、傲慢ほど、生きる上での障害になるものはありません。
謙虚さを教えるのも当然大切ですが、一番の本質は、自分を尽くすこと。自分を尽くすことを楽しむこと。

それさえできれば、結果はどうでもいいです。
必ず次へのステージへと「つながる」からです。

その後のKくんを、残念ながら私は知りません。しかし、充実した人生を送っていると確信があります。



※団体スポーツでは、レギュラーと控えと補欠というものが存在します。
試合に出られる人(レギュラー)と交代要員(控え)と試合に出られない人(補欠)です。

団体スポーツでは、個人の力とチームの力があります。
チームプレーで試合の成績が出ますが、個人プレーで個人の成績が出る。

自分を尽くすと同時に、チームに尽くす精神が大切になります。
チームワークと言われますが、日本語で「和」と表現する方が遥かに次元の高いぴったりと当てはまる表現となります。

団体スポーツでは、力学が複雑で、自分が上手いから自分の成績が上がるとは限りません。チーム力と個人力の力学が上手く「調和」しないとチームの成績はもちろん、個人の成績も良いモノにならない。

この調和を高い次元で作り上げたチームが勝ち、個人の成績も良い結果となります。
さらに、団体スポーツでは、その過程で人としても成長できる要素が大いにある。

これは個人スポーツしか知らない人・団体スポーツで自分を尽くしたことがない人は、絶対に分かりません。経験していないからです。

指導者となる人・特に子供を教える指導者には、この経験は大変重要だと思います。

だから、元プロ野球選手であり名監督だった野村克也監督は、
「人間学無き者に、指導者の資格無し」と言い切りました。

テニスでも同じです。
テニスは、個人スポーツですが、チームで練習し、一人では練習はできないませんから。

指導者が、この「高い次元での調和のあり方」を知らないのは、選手・子供にとって不幸でしかありません。
さらに、「自分を尽くしたことがない指導者や選手」は、もっと大きな悪影響を将来、自分や人に与えることになります。

自分を尽くせなかった人の実話

自分を尽くせなかった人は、その後の人生に大きな悪影響を与えます。
自分を尽くすことを知らないと、何事も中途半端になる。

特にスポーツでは、その悪影響は切実なモノになります。
自分を尽くせなかった人が指導者になると、自分のために指導を行なうようになります。

選手としての後悔を、指導者になって晴らそうとするからです。

多くの選手が、自分の実力を出しきれずに、上達しないのは、このような指導者に教えてもらうのが原因。
選手を観ずに教えるからです。そのような例は、ものすごく多い。

逆に自分を尽くした経験のある指導者は、自分が指導者として有名になることよりも、選手のことを一番に考えて指導できます。

自分の結果に満足しているからです。これ以上、自分に何かが欲しいとか「飾りや肩書や名誉」よりも、次世代の子供たちを立派にしてあげたい思うからです。

だから、選手もすくすく上達します。

ここで紹介するのは、自分を尽くせなかった指導者と選手のお話です。


その指導者は、テニスをするのが大好きです。自分が上手くなること・自分がテニスをすることが、一番の楽しみ。

選手を教えるのは、ただテニスをしてお金を稼ぐためです。

選手のこと、将来のことを考えて教えないし、教えられない。
自分を尽くすことの大切さを知らないから。

そのような指導者の末路、そのような指導者に教わった選手の末路は、大変みじめなモノです。

何も残せないから。選手から大人になっても心から慕われることはありません。選手時代と何も変わらない。
そのような指導者からは、選手は何も学ぶことはできないどころか、心を廃れさせます。

人にとって大切なことなど一切教えられない。学べない。
そのような選手は、他の選手の足を引っ張り出します。

「イジメ」です。

或いは、わざとジャッジを自分の有利な方にしたり、自分の嫌いな選手の不利になるようなジャッジをしたりします。

そのような選手は、大人になったときどうなるでしょうか?
お分かりになると思います。

勝つことよりも、大切なことが指導者にも選手にもあります。
人として、大切なことを学ぶことです。野村監督の言う「人間学」です。

しかし、指導者の多くが人間学など学んだことはありません。
学んだことがないのに教えられるわけがありません。

そして、人として大切なものを学ぶからこそ、良い結果が出たとき、その結果に価値がある。
悪い結果だったとしても、自分をかえりみることができる。次へ進もうと素直に思えるわけです。

しかし、今の指導者は「勝つこと」を一番に優先します。
或いは、何の意味があるのか分からない「雑学」に時間を使ったりします。

最近、子供が親を論破して楽しむというニュースがありました。
雑学や知識というのは、頭は鍛えられるかも知れませんが、心を廃れさせます。

これは多くの昔の人達が言っていることです。
学ぶべきものを間違えるのは、学ばないよりも大きな害があると。

「自分を尽くす」という言葉は、ただ頑張るだけではありません。
そこには、心というモノがないといけません。

特に指導者には、絶対になくてはならない学問です。


ぐっど
ぐっど

すこしでも、皆さんのテニスライフと人生の役に立てたなら、これほど嬉しいものはありません。

もし、よろしかったら、感想や抱えている問題など、なんでも結構ですのでお問い合わせからご連絡くださいね!

最後まで読んでいただきまして、ありがとうございます!!